三島由紀夫の子供の現在は?嫁・平岡瑤子はどんな人?

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作家・三島由紀夫の子供の現在はどうなっているのでしょうか?また、三島由紀夫の嫁・平岡瑤子ってどんな人なのか気になりますよね。

 

この記事では、平岡瑤子がどんな人だったのかということや、子供の現在の姿について詳しく調べていきたいと思います。

 

作家としてだけではなく、劇作家や政治活動家としての顔を持っていた三島由紀夫。彼の壮絶な人生と、美しい世界観の作品たちは、現在も国内外問わず多くの人に愛されています。

 

今回は、そんな三島由紀夫と、彼を取り巻く人々について調べてみました!

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もくじ

三島由紀夫の子供の現在は?

三島由紀夫と平岡瑤子の間には、2人の子供がいました。彼らは現在、どのような生活をしているのでしょうか?

 

2人については現在もご存命で、お仕事や活動をしていらっしゃるということが推測されます。ですが、2人とも一般の方なので、顔写真などの公開はしていないようです。

 

三島由紀夫さんの子供たちですが、1人は娘さんで、名前を平岡紀子さん。現在はご結婚されており、3人のお子さんもいらっしゃるそうです。

 

 

このお子さんたちは、三島由紀夫の孫ということですね。お孫さんたちはおそらく、30代半ば~20代頃の年齢と思われますが、日本が誇る天才作家の血脈が受け継がれていると思うと、なんだか感慨深いことのように思います。

 

そして、三島由紀夫の息子さんの名前は、平岡威一郎さん。この方は、以前は銀座にて宝石店を営んでおられたようですが、現在の職業は不明です。結婚されているという情報もなかったので、もしかしたら独身でいらっしゃるのかもしれませんね。

 

2人は3歳違いの姉弟ということで、早くに父親が亡くなったこともあり、きっと仲睦まじく成長していったのではないのかな、と思います。

 

◆三島由紀夫の関連記事はこちら↓
⇒ 芥正彦の子供は娘?天才と呼ばれた男の現在は

三島由紀夫の子供・平岡紀子はどんな人?

平岡威一郎さんのお姉さんは紀子さんという方で、現在60歳だそうです。外交官の方とご結婚されてからは、姓が変わり、冨田紀子さんになっているようです。

 

なんと紀子さんは学生時代、学習院幼稚園から初等科まで、現在の天皇陛下と同級生だったそうです!さすが三島由紀夫の娘さんというだけあって、かなりのお嬢様なんですね…!

 

その後、紀子さんはエスカレーター式に進学し、最後は学習院大学文学部を卒業されています。結婚相手が外交官、というのも、エリートならではという感じのエピソードですね。

 

結婚後は、外交官の妻としてシンガポールに駐在し、そこでお子さんたちを出産されたそうです。紀子さんは舞台の演出家として活躍していた過去があり、その際には三島由紀夫の作品を上演したこともあります。

 

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三島由紀夫の子供・平岡威一郎はどんな人?

平岡威一郎さんは、1962年生まれの57歳で、父である三島由紀夫の著作権保護のための活動をしており、三島由紀夫関連の書籍への監修に関わっていらっしゃいます。

 

威一郎さんの経歴は華やかで、中学卒業後に渡米すると、帰国後は映画監督・市川崑のもとで働いていたことがあるそうです。その後、映画の助監督として活動した後、1980年代には「アウローラ」という宝石店をオープン。

 

また、一時期は作詞家を目指すものの、平岡威一郎さんの作る詩はとても典雅なものだったで、一般受けをしないという理由から、半年ほどで辞めさせられたそうです。

 

さすが、父親譲りの文学の才能があったということですが、大衆向けの作品作りには向かなかったのかもしれませんね。

 

 

1999年には三島由紀夫の小説を映画化した『春の雪』の企画や監修に携わるなど、芸術や文化界で多くの活動をされているようです。

 

この映画『春の雪』は、妻夫木聡さんが主演を務め、その他にも竹内結子さにゃ及川光博さんなど、豪華共演陣が話題になりました。

三島由紀夫の嫁・平岡瑤子はどんな人?

三島由紀夫といえば、同性愛者だと言われており、当時は大変な話題になっていましたが、私生活では女性と結婚していました。

 

三島由紀夫が結婚したのは、33歳の時。お相手は、当時大学生だった21歳の平岡瑤子でした。

 

平岡瑤子は、旧姓を杉山瑤子と言い、父は有名な日本画家である杉山寧でした。小さな頃から可愛らしい顔立ちをしていて、学校や近所でも有名な美少女だったそうです。

 

三島由紀夫と平岡瑤子は、友人の紹介で出会い、結婚。平岡瑤子は結婚後、大学を中退して専業主婦になり、三島由紀夫を支えることに専念したといいます。三島由紀夫は結婚の際、

 

「三十三にもなつて、二十一の可愛い女房を迎へたのだから、嬉しい」(原文ママ)

 

とコメントしていました。すでに作家として有名になっていましたが、平岡瑤子は作家としての三島由紀夫でなく、ひとりの男性としての三島由紀夫を愛していたようです。

 

 

三島由紀夫の死後、彼の書誌を編集したり、遺作の整理を行っていましたが、1995年7月、急性心不全により、わずか58歳で亡くなってしまいます。

 

平岡瑤子は絵を描くのが好きで、三島由紀夫の死後に発表された遺作「豊饒の海」のカバー画を描いたこともあるようです。

 

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三島由紀夫と美輪明宏の関係は

三島由紀夫にゆかりのある人物として、必ず名前があがるのが、歌手の美輪明宏さんです。2人は一体、どのような関係だったのでしょうか。

 

2人は、美輪明宏さんが歌手としてヒットする前に働いていた、シャンソン喫茶「銀巴里」で出会いました。

 

シャンソンを歌っている美輪明宏さんを三島由紀夫が気に入り、何度も声をかけたそうなのですが、美輪明宏さんは最初、そっけない対応をしていたそうです。

 

そんな美輪明宏さんに、三島由紀夫はぞっこんになり、2人の交流は徐々に始まったのでした。

 

 

その後、三島由紀夫は美輪明宏さんをヒロインにした舞台「黒蜥蜴」を発表します。この「黒蜥蜴」は美しい女怪盗の役で、美輪明宏さんの生涯の当たり役となり、現在でも美輪明宏さんによって、演じられています。

 

その親密さから、美輪明宏さんは三島由紀夫の愛人ではないか?と疑われたこともあったそうですが、三島由紀夫も美輪明宏さんも、お互いに恋愛関係であるということを否定しています。

 

ただ、2人はお互いの芸術的才能を尊敬しあい、良い作品を生み出すためのパートナーであったことは間違いありません。

 

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三島由紀夫の高校や出身地はどこ?

三島由紀夫の出身地は、現在の東京都新宿区四谷です。父・平岡梓と母・倭文重のあいだに長男として生まれ、生家は、町内で一番大きい家だったといいます。

 

家の中には、両親と父方の祖父母、そして女中さんや書生、下男などが住み込みで働いており、その後、三島由紀夫の妹や弟も生まれ、大所帯だったようです。

 

父が農林省に勤務していたということもあり、また代々官僚の家であったことから、三島由紀夫はかなりのお坊ちゃまとして育てられたことがわかります。

 

そんな三島由紀夫は、初等科から学習院に在学し、高校も学習院高等科を卒業しています。先ほども少し記しましたが、学習院といえば、皇族の方々も通うような超エリート校ですよね。

 

この頃から、三島由紀夫は詩作をしたり、物語を書いたりしていたようです。

 

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三島由紀夫の身長・体重は

三島由紀夫といえば、太い眉をした濃い顔や、隆々とした筋肉の印象が強いので、大柄なのかな?と思う方もいらっしゃると思います。

 

ですが、実際には小柄で、身長は164cm、体重は50㎏くらいだったという記録が残っています。意外にも、かなり小柄であったということがわかります。

 

ですが、三島由紀夫は昭和の初めに生まれた人なので、その年代の男性は、現在の男性に比べるとやや小柄であると思います。三島由紀夫が特別、背が小さい!というわけではないかもしれませんね。

 

 

ですが、三島由紀夫は30歳頃から身体を鍛えることに熱中し、体重は少し増量したと言われています。筋トレの他にはボクシングにも熱中しており、身体を鍛える理由を尋ねられると、

 

自分は切腹して死ぬつもりだから、腹を切ったときに脂肪が出てくるといやなんだ

 

と答えたと言われています。

三島由紀夫の経歴・プロフィール

三島由紀夫のプロフィールについて、まとめてみました。

 

三島由紀夫(本名:平岡公威)

 

生年月日:1925年1月14日

死没日:1970年11月25日(45歳没)

 

代表作:「仮面の告白」(1949年)、「近代能楽集」(1956年)、「金閣寺」(1956年)、「豊饒の海」(1965~1970年)など。三島由紀夫は16歳で小説家デビューすると、その後数々の名作を世に生み出しました。

 

豪華絢爛で詩的な文体が三島文学の特徴で、多くの作家や芸術家が、彼の作品にインスピレーションを受けています。
多くの文豪たちとも親睦を深めており、川端康成や太宰治などと交流がありました。

 

 

その後、政治的な思想を強めていき、自衛隊に体験入隊した後に民兵組織を結成し、1970年11月25日には、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乗り込むと、クーデターを促す演説を行い、その場で割腹自殺を遂げました。

 

三島由紀夫は憲法の改正と、自衛隊の国軍化の実現を願っており、そのためのクーデターを扇動しようとしていたそうです。この事件は当時、大きな社会問題となりました。

 

ショッキングな最期を選んだ三島由紀夫でしたが、彼の遺した文学作品は、現在でも多くの人々に読み継がれ、日本のみならず、海外でも高く評価されています。

 

過去にはノーベル文学賞の候補にもあがったことがあり、いくつかの国では三島作品の翻訳版も出版されています。

まとめ

この記事では、三島由紀夫の嫁・平岡瑤子はどんな人だったのか、また三島由紀夫の子供たちは現在何をしているのか?ということについて調べてみました。

 

2020年3月20日からは、映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」が公開されます。この映画は、1969年に東大のキャンパスで行われた、三島由紀夫の講演をもとに、三島由紀夫の人生について描いたドキュメンタリー映画です。

 

2020年、没後50周年を迎える三島由紀夫。

 

その不滅の精神と、壮絶な生きざま、そしていつまでも風化することのない素晴らしい作品たちは、いつまでも語り継がれることでしょう。

 

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